デート〜恋とはどんなものかしら〜最終話と全体の総括
「この世界は全て数字で出来ています。一見どんなに複雑で無秩序なものに見えても、そこには必ず法則性があり数式で表せます。」
「私たちの人生だってそう。誰と出会い、誰と恋するのか。どんなに嫌いな相手でも出会う人とは出会うし、どんなに抗っても恋に落ちる人とは落ちてしまう。」
「もし運命を変えることが出来るとすれば、それは恐らくこの数というものの謎を解いたものだけでしょう。すなわち数学とは神への挑戦なのです。」
母親からの強い影響を受けて全てを数字や合理性で考え行動する依子(杏)と、文学や芸術に傾倒し感受性が豊かでありながらも実際に行動する所までは至らない巧(長谷川博己)。その正反対の資質を持ち合わせた2人が契約結婚するために奮闘しますが、相容れない部分が多くお互いの感情をぶつけ合い少しずつ自分の内面や言動が変化してゆく過程を、ドラマを通して基本的にはコミカルに時にシリアスに描かれていました。それは感情という「一見複雑で無秩序なもの」に「法則性がある」ことを言い表していましたし、一見全く相容れないようにみえる2人が実は運命の相手だった(何せ2人は21年前に出会っていた!)ことは「どんなに抗っても恋に落ちる人とは落ちてしまう」ということなんでしょう。
最終回で印象的だったのは、白石加代子さん演じるバスに乗り合わせた女性が語ったこと(「楽しいだけの恋…それって果たして恋なのかしら?まるでおままごとみたい。」や「恋って本当に恐ろしいものね…一旦踏み込んだら最後、永遠に続く底なし沼。恋をして幸せになった人なんているのかしら?」)とその後の展開で白石加代子さんからプレゼントされた林檎を依子と巧が2人で食べてしまう場面です。これはある有名な出来事と酷似しています。それは最初の人間アダムとエバが蛇に唆されて、神が食べてはならないと言っていた木の実を食べてしまったという聖書の記述です。これが明らかに元ネタとなっており、依子が先に林檎を食べたことは先にエバが木の実を食べたことに呼応していますし、また依子と巧がお互いを傷つけるであろうことはわかっていながらも苦しい道を選択することは、禁じられた行為によって神がアダムとエバを楽園から追放したこと、その後2人が苦しい生活を強いられることに似ています。そもそもアダムとエバが禁じられた木の実を食べたことが「神への挑戦」とも言えますし。このエピソードを巧みに作品に織り込んだ古沢良太さんの手腕に改めて感心させられ唸らされました…
小難しい解説や感想はこのくらいにして。本当にいいドラマでした。感情移入しにくい登場人物として登場した依子と巧が、最終的には愛おしくて堪らなくなりました。そう感じさせる大きな一因は杏ちゃんと長谷川博己さんの素晴らしい演技があったからだと思います。あと脇を固めていた風吹ジュンさんや松重豊さん、国仲涼子さんや和久井映見さん、中島裕翔くんも素晴らしかったですね。
しかしもう依子ちゃんの上目遣い+アヒル口が見れなくなると思うと寂しくなります…