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「セッション」にまつわる論争と個人的感想、そして音楽映画について

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映画「セッション」についてジャズミュージシャンであり文筆家でもある菊地成孔さんが自身のブログで内容・音楽についての酷評文を発表したところ、映画評論家の町山智浩さんがそれに反論する形で自身のブログで「セッション」を擁護する文章を発表しかなりの話題となりました。何せYahoo!のトップニュースに載りましたからねぇ。そして何回かお互いに反論文を掲載したので、ちょっとした論争やネットでの反応もあったようです。そのほとんどは町山智浩さん支持だったようですが…

個人的にお2人の文章は好きで以前から読んでいました。前々から売られた喧嘩の買い方(勿論文章でという意味で)や相手を論破するスタイルが似ているなぁ…と思っていたんですが、まさかこの2人が直接対決するとは!と驚きながらも、まだ映画「セッション」を観てなかったので一番話題になっていた時には文章が読めない状態でした。しかしやっと先週「セッション」を観たので、お2人のブログの文章を読むことが出来ました。それを読んだ感想と、自分が映画を観て感じたこと、あと「セッション」が音楽映画と呼べるのだろうか?という3点について考察したいと思います。

ます菊地成孔さんと町山智浩さんの文章を読んだ感想は、どちらの言い分にも同意できる部分と「それはあまりに偏りがある考えで決めつけが酷いんじゃないだろうか?」という部分が混在しているなぁ…というものでした。
菊地さんのジャズミュージシャン/映画を愛する文筆家としての立場から、いかに「セッション」がジャズ映画としてもスポ根映画としても出来が悪く、おまけに主人公のドラムも全くグルーブ感のない手数が多いだけのプレイであるか、また音楽考証もデタラメであるということをジャズを生業にしているプロとして苦言を呈しているといったことが掴めました。ただ単に「こんなスパルタな教え方する訳がないだろ!ジャズが侮辱された!許せん!」的な短絡的な怒りではないことがよくわかりました。
一方町山さんの文章では「菊地さんがあんな文章を発表する(しかも映画公開前に)と「じゃあ観なくていいや」と考え実際そうする者が出てくる。この小規模な傑作映画を潰す気か!自分の影響力を考えてくれ!」という論調で、ジャズについては専門家である菊地さんが何と言おうとこの映画を支持するという気概が伝わってきました。それに音楽考証や大学でのジャズ教育が事実と異なっているとしても、最後の演奏シーンでこれまでの「恐怖と憎悪」が音楽を通して消えて昇華していくから素晴らしい作品だ!だから菊地さんが何と言おうとも、そこで感動したことは恥ずかしいことでも何でもないんだ!ということも強調されていましたね。
お2人の意見はその筋の専門家としての立場からとても貴重でわかりやすいものだったと思います。ただ若干町山さんの方が分が悪かったかな…とは感じますが。菊地成孔さんはプロのジャズミュージシャンですから当然リズム感や音楽についての造詣がとても深いですし、映画についても一言ある文筆家です。多少文章が長くて読みづらいという部分はあるにしても、その評論はかなり的確だと思います。一方の町山さんはプロの映画評論家でその知識の多さは他を圧倒するほどですが、ことジャズについてはご自身で「ジャズ素人」と書いておられるようにジャズについては明るくないようですし。あと町山さんは映画に対する偏愛的な側面があるように思えます。例えば作品の整合性や考証よりも自身が感情移入できたり熱狂した映画を支持する傾向もあるようにみえますので、そこはこの2人の大きな違いだと思います。そのズレが生じさせた論争だったのかなぁ…と感じました。

次に僕個人が映画を観た感想です。正直観終わった時は「凄い衝撃的な作品だったなぁ…」と感じましたが、もう観なくてもいいやとも感じました。確かに素晴らしい作品でももう観たくないと感じる作品というのもありますが、そういう類の感情とは少し違いました。映画を観ていて僕個人は映画的なカタルシスをあまり感じませんでした。むしろ苦しい・怖いという感情にさらされた印象が強いです。ちなみにホラー映画は大の苦手ですが、そういった作品を観終わった時に感じる感情に近かったかも知れません。あと個人的にはこの映画のテーマが「支配する側/される側の心理と駆け引き」、「恐怖と憎悪と復讐心」、「承認欲求と肥大するエゴ」だと感じましたので、そういうネガティヴな感情を扱った作品は一回観たらもういいかな…と感じたのかもしれません。

最後に「セッション」は音楽映画か?という点ですが、これにはハッキリとNO!と言いたいと思います。映画と音楽を同じくらい愛する者の1人として、これが音楽映画だとは認めたくありませんし、ジャズという音楽に敬意と愛情を持つ者として「この作品、ジャズをとても良く描けているなぁ…」と肯定する気もありません。あと先回のブログで取り上げた「はじまりのうた」のような音楽の救済する力を信じ、それを演奏・製作することによる喜びや癒すという側面を全く感じない作品でしたので、音楽映画とは認めたくないですね。確かに音楽は魅力的な一方で破壊的で危険な一面も持っていることは重々承知してますが、それにしてもやり過ぎでは…という感じですかね。
ただ「セッション」は映画としては魅力的な側面(役者の演技や存在感、あと脚本の巧みさ等)を持っているので、この作品に関心・興味のある方は観ても損はないと思いました。